ボクサージェイク・ラモッタの半生を描いた映画
「レイジング・ブル」
このタイトルはジェイク・ラモッタのボクサー時代のあだ名のようで、怒れる雄牛、とかいう意味らしい。
主演はロバート・デ・ニーロ、監督はマーティン・スコセッシ。
ボクサーを題材にした映画なので、暴力シーンが多いが、ボクシングでの殴り合いはスポーツとして観ていられるが、このジェイク・ラモッタ情緒不安定で日常的な暴力のにおいがつきまとう。
一匹狼でマフィア(?)に対しても自分を貫こうとし、信じるものは自分自身。顔に笑みを浮かべていてもどこかおそろしい。我慢も苦手で、常に人を疑い、そのせいでたった一人の弟すら離れていく。
レイジング・ブルとはボクサー時代のあだ名ではあるが、実生活においても彼そのものを暗示しているようで、興味深い。
マーティン・スコセッシの映画には暴力シーンは定番であり、観ていてとても痛々しい。コミュニケーションをあきらめたときに起こるその暴力は、青春映画のように最後に握手とはいかず、対立を生む。が、ここで通常の世界と違うとおもったのは、ジェイク・ラモッタの弟ジョーイ・ラモッタがマフィアに一方的に殴りかかり大怪我を負わすが、マフィアの幹部が仲裁にはいり仲直りすシーンがある。感情的には納得できないが、組織のなかで生きていくには事務的になることも必要なのだろう。
このような人間関係のなかでジェイク・ラモッタは生きているのであり、うまくいかないことだらけ。いくらチャンピオンになっても、美しい妻に対しいつも疑心暗鬼で、それが原因でいつも喧嘩が絶えない。最後はひとりぼっち。
小津安二郎監督の秋刀魚の味ではないが、
「人生はひとりぼっちですなぁ」
と、いうかんじだろうか(映画の意味合いがちょっと違うが)。
このレイジング・ブルまた別の視点でみるとすれば、ロバート・デ・ニーロの役作りだろうか。痩せたり、太ったりと同じ人物とはおもえない変身である。
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